赤坂城の戦い
					上赤坂城は楠木城とも呼ばれ、楠木氏の本城でした。鎌倉時代末期の幕府方との戦い(赤坂城の戦い)では平野将監を主将、楠木正季を副将とし、10日にわたって籠城を続けました。『太平記』では水路を絶たれたことにより落城したとの記載がありますが、史実かどうかは定かではありません。平野将監は落城に先んじて投降しましたが、楠木正季は千早城へと逃れました。
					
地理
					駐車場に車を停めると、坂をすこし上ったところに案内板が見えます。この場所には「一の木戸」があったとされています。ここからはしばらく「切通し」の道が続きます。「切通し」とは斜面を掘り下げて通した道のことを言います。続けて「二の木戸」「三の木戸」と上っていくと、「そろばん橋」に到着します。現在は道が続いていますが、往時は「堀切」の上に木の橋が掛かっていたものと推定されます。さらに先に進むと「茶碗原」に出ます。土器などが出土したことから当時は「曲輪」として使用されていたことが伺えます。頂上は「千畳敷」と呼ばれ、大阪市内まで見通すことができます。頂上の周囲にはぐるりと「帯曲輪」が広がっています。
					
アクセス
					一の木戸近くまでは車で行くことができます。駐車場がありますのでそちらに駐車してください。徒歩ではおよそ20分ほどの道のりです。山道になりますので登山に向いた服装でお越しください。
				
			 
			
				
					| 連絡先 | 
					 0721-72-1588(楠公史跡保存会) | 
				
					| 住所 | 
					大阪府南河内郡千早赤阪村大字桐山 | 
				
					| アクセス | 
					
						近鉄長野線「富田林」駅乗り換え、金剛バス「奉建塔」下車、徒歩30分 | 
				
					| 駐車場 | 
					無料(山頂までは徒歩20分ほどです) | 
				
					| HP | 
					https://nanko-hsps.jimdofree.com/ |